あぶらとり紙と後悔
大学の入学前にアパート選びのため、初めて父と2人きりで新幹線で遠出した帰りの出来事だった。
「おかあさんってこういうの使うの?」
何年かに一度、気が向いた時に結婚記念日に花束を買ってくるくらいしか母に贈り物をしない父が、よーじやのあぶらとり紙を眺めながら私に尋ねてきた。
母はあぶらとり紙を使わない人だったので「使ってないよ」と教えた。父は「そうか」と言って、買うのをやめた。結局、父は何も買わずに駅をあとにした。
3ヶ月が経ち、人生初めてのアルバイトを終えて帰宅したちょうどそのとき、携帯が鳴った。
「お父さんの心臓が止まった、急いで帰ってきて」
3ヶ月前、父と帰った道のりを、今度は1人で泣きながら帰る。新幹線に乗る直前に再度電話が鳴った。
「心臓マッサージをやめる判断をしなきゃいけない、もういい?ごめんね」
メールで送られてきた葬儀場に着き、母は私を見るなり「ごめん、本当にごめん、私がお父さんの具合を確認してれば、私がお父さんを殺した」と泣き崩れた。
母を宥めながら、私はなぜ、あのとき嘘でもおかあさんはあぶらとり紙を使うと言わなかったんだろう、と、そのことばかりを後悔した。
数年後、母をよーじやへ連れて行き、父があぶらとり紙を買おうとしていた話をした。代わりに私が買ったあぶらとり紙は今も袋に入ったまま、電話の横に飾られている。