ひつじを数えて眠るまで

不労所得がほしいひつじが子育てのことを書いてます

今日、娘と。念願のイルカさんマークを手に入れるまで。

私の基本的な教育心情(方針と語るまでにはまだまだ考え足りないので、心情。)として「人間として生きていくにあたり死なない程度の基礎基本が身に付いていれば、あとは得意や好きを伸ばせばいい、苦手なことを無理に続ける必要はない」というものがある。

 

習い事の選定も基本的にはこの心情に従っており、

・娘がやりたいといったものをやらせる。

・自分がやりたいと言ったからにはとりあえず1年は続けさせるが、その後の継続は彼女の意向に従う。

ということにしている。

 

年中さんに上がった今年、1年続けてきた音楽教室を辞め、スイミングをやりたいというのでその意向に従った。

レッスン初日。

泣きながら、なかなかお母さんから離れられない子も数人いる中、娘はスタスタと1人でシャワーまで行き、元気に手を振って私の元を離れていった。予想通りだった。

娘は全く手がかからないとまでは言わないが、幼稚園では先生から「指示をよく聞いてくれて、お手伝いもよくしてくれるので助かってます」と言われるしっかり者。

手先も器用で、言語発達も早く、ほんとに私の子か?と思うくらい運動もそこそこでき、ここまで特に「苦手」と本人が認識しているものはなかったように思う。

 

初日に渡されたのはカメさんマークのワッペン。カメさんがもらえるのは、泣かずにプールサイドまで行けた子。どうせすぐに次のイルカさんマーク(=顔つけが5秒できる)に上がるだろうから、と私はそのワッペンを水泳帽に雑に縫い付けた。(フラグ)

 

次のレッスン、娘は顔つけが全くできなかった。まあまあまあまあ、次回になれば。

次こそは次こそは、が3回続き、初回のテスト、娘は結局、一瞬たりとも顔をつけられずカメさん続行が決定した。同時期にスタートしたカメさんの半分がこの時点でイルカさんに上がった。

シャワーを浴びて帰ってきた娘は「娘ちゃん、合格できなかったんだー、他の子は合格できてたんだけど、、次はがんばる!!!!」と意気込んでいて、この時点では「他人の合格に嫉妬などせずに、そう思える娘は素敵だ〜」などと呑気なことを考えていた、そう、このあと4ヶ月もカメ留年することなどつゆ知らず、、、

 

次のテストは、次のテストは、が2回続き、とうとうクラスでカメさんは娘だけになった。

私の心情を言語化するならば、「焦燥」と「葛藤」。

なんで顔をつけるなんて簡単なことができないのか???他の子と比べるものじゃないと頭では理解している、いや、もはや過去の自分と比べても成長しとらんやんけ!!顔をつけるなんて初歩すぎてもはや家で練習するにも限界がある、絶望的に向いてないのか、、、もう苦手ならサクッと辞めた方がお互いにとっていいのではないか、水泳なんて出来なくたって死なない、、、いや、時と場合よっては死ぬ!!!!さすがに顔つけくらいは出来んと困るんや!!!うおぉぉぉ

 

正直、自分の受験でさえこんな焦燥感は抱かなかったと記憶している。

Twitterではよく「自分が旧帝大に合格するよりも、子どもをMARCHに合格させる方が難しい」と言われているが、子どもをイルカさんに進級させることがこんなに難しいことだなんて思ってもみなかった。

なおかつ、この私の心の中を決して娘には見せてはいけない、口に出してはいけない、これがまたさらなる地獄だった。(なるべく努力したが、ちょびっとくらいはさすがに漏れていた気はする、娘よすまん)

 

そんなこんなの焦燥と葛藤と娘の努力の末、先日ついに娘は念願のイルカさんマークを手に入れた。(家での練習の日々は面倒なので割愛する)

それはそれは嬉しそうな笑顔でイルカさんワッペンを持って帰ってきた娘を見て、更衣室で私は泣いた。(更衣室でイルカさんワッペンを持って泣く女、もはやただの不審者)

 

今回の経験を通して、娘は人生初めての「挫折」と「努力をした末の成功体験」を積めたのでは、と感じている。

そして私は、子ども本人が頑張っているうちに親ができることは「我慢強く見守ること、親が先に諦めずに伴走を続けること」だなと身を持って学んだ。

 

これでまだ子育て前半期なのしんどすぎひん???????????????

 

ー完ー

 

 

 

 

今日、娘と。黙食

道を一緒に歩いていたら、デイケアのお迎えの車と遭遇した。

「あれはなに?車いすなんで乗せるの?どこいくの?」

と聞かれたので、

「おばあちゃんおじいちゃんがおうちに1人でいてもつまんないから、ひーちゃんが幼稚園でお友達と遊んだり、ご飯食べたりするみたいにデイケアセンターとか老人ホームとかに行くのよ」

と答えた。

すると、

「でも、ご飯食べるときは、お話ししちゃダメだから楽しくないんだよ〜」

と返ってきた。

 

子どもの命を守ること、

子どもの心を守ること、

時として両立しないそれらのバランスをとりながら

今日も難しい時代を生きている。

習い事始めました

4月から音楽教室に通い始めました。

結論、今のところめっちゃいいので、ちょっと語りたい。

 

選定の条件

そもそも習い事を選定するときに、以下の理由と条件を満たすものを探しました。

・共働きなので、土曜日にレッスンがあること

・雨の日でも行く気が失せないように家の近くであること

・言語が発達仕切っていない幼児期のうちに言語の他にも表現方法があることを体感して欲しかったので、インプットしたものを自分で表現できるレッスンであること

・もし、幼稚園やこの先学校が嫌になった時のために別のコミュニティを持っておくためグループレッスンであること

音楽教室の他にも、LEGOやダンス、絵画なども検討しましたが、上記条件が、全部当てはまるのが音楽教室しかなく、消去法で決まった感じではあるけど。

体験に行った時に娘がとても楽しそうだったのと、スタッフさんの説明がわりと私の求めるところに近かったので体験後に即入会しました。

 

レッスンについて

リトミックとは違い、最終的に1つ上のクラスから始まる「鍵盤を弾く」ということに繋がるレッスン構成になっているのですが、これがまた良い。

①音楽を聞きながら、情景を思い浮かべる補助としてピクチャーブック(絵本というかピクチャーブックなの、伝わりますかこれ、かぶれてるわけじゃないの)を見る

②同じ音楽を聞いて次は身体表現をする

③さらに同じ音楽に合わせて鍵盤を叩いてみる(今は弾くというより叩くに近い)

この3段階を踏むことで、同じ音楽を違った方法で楽しめようになっていて、そこが個人的に気に入ってるところです。

また、音楽も歌が入ってるものだけでなく、吹奏楽(弦楽器の音聞こえないからたぶんオケじゃない、、と思う)演奏だけのものもあり、色々な楽器の音を聞いて動物や情景を連想できるようになっています。

 

この1つ上のクラスから「鍵盤を弾く」が本格的になるようなので、続けるかどうかは要検討ですが、娘が嫌がらなければとりあえず1年間は続けようと思います〜〜〜

あぶらとり紙と後悔

大学の入学前にアパート選びのため、初めて父と2人きりで新幹線で遠出した帰りの出来事だった。

「おかあさんってこういうの使うの?」

何年かに一度、気が向いた時に結婚記念日に花束を買ってくるくらいしか母に贈り物をしない父が、よーじやのあぶらとり紙を眺めながら私に尋ねてきた。

母はあぶらとり紙を使わない人だったので「使ってないよ」と教えた。父は「そうか」と言って、買うのをやめた。結局、父は何も買わずに駅をあとにした。

 

3ヶ月が経ち、人生初めてのアルバイトを終えて帰宅したちょうどそのとき、携帯が鳴った。

「お父さんの心臓が止まった、急いで帰ってきて」

3ヶ月前、父と帰った道のりを、今度は1人で泣きながら帰る。新幹線に乗る直前に再度電話が鳴った。

「心臓マッサージをやめる判断をしなきゃいけない、もういい?ごめんね」

 

メールで送られてきた葬儀場に着き、母は私を見るなり「ごめん、本当にごめん、私がお父さんの具合を確認してれば、私がお父さんを殺した」と泣き崩れた。

母を宥めながら、私はなぜ、あのとき嘘でもおかあさんはあぶらとり紙を使うと言わなかったんだろう、と、そのことばかりを後悔した。

 

数年後、母をよーじやへ連れて行き、父があぶらとり紙を買おうとしていた話をした。代わりに私が買ったあぶらとり紙は今も袋に入ったまま、電話の横に飾られている。

備忘録

「コロナ禍」と言われるようになり、もうすぐ1年が経つ。

去年の今頃は、中国でどうやらヤバい感染症が流行ってるらしいよ…程度の感覚だっただろうか。

そこから1.2ヶ月足らずで、あれよあれよと歴史の教科書の中の出来事だと思っていたパンデミックの中に我々は放り込まれた。

 

4月から一緒に仕事を始めたメンバーたち。年度の初めの頃は画面越しに「コロナが終わったらみんなで飲みに行きましょうね!」と皆がよく口にしていた。その願いは叶わぬまま、一度も全員オフィスにさえ揃うことのないまま年度末の解散を迎えることになりそうだ。

 

娘は3歳を迎え、よくごっこ遊びをするようになった。レストランごっこをする彼女は必ず入り口に消毒液を設置し、客に手指消毒をさせようと自らポンプを押す。(勿体ないからやめてくれ)

 

夫は完全在宅勤務になった。結婚するまでも、結婚してからも、娘が生まれてからでさえ、長期休暇中以外は3日以上連続で夕飯を共にすることがなかった我々夫婦はもう1年ほど毎日夕食を一緒に食べている。

 

私はもうすぐ30歳を迎える。母は60歳になり、祖父は90歳を迎えた。もしかするともう二度と祖父には会えないのではないかと、最後に会った1年半前の写真を見ながら思うことがある。

 

お世辞にも得たものと失ったものでは失ったものの数の方が多いように思うこの生活の中で、物心をついた頃にはパンデミックの中にいた娘が元気よく遊んでいる姿にただただ心を救われることがある。

 

すでに無症状で感染したあとなのか、まだ感染はしていないのか分からないが今のところ、我々家族はまだ無事である。

今日、娘と。香りの記憶

ここ数日で一気に金木犀の香りが街の至るところで存在感を増している。

娘、3歳にして初めてその存在に気づく。

金木犀いい香りだね〜」と言うと、「いいにおいだね〜、こうすいつけてるのかな?」と返ってきた。

なるほど、その発想はなかったな。

 

きっと、私はこれから先何十年と金木犀の香りを感じる度にこの会話を思い出すのだろう。

彼女の記憶の中の金木犀はいつ、誰との思い出が刻まれるのだろうか。

幼稚園決めました

幼稚園探し途中経過記事はこちら▼

https://ohitsuji.hatenablog.com/entry/2020/08/15/000025

 

前回の記事の時点で3園見学してましたが、9月末までで6園見学しました。が、とても残念なことがありまして、、、

正直、ここに絶対行かせたい!!という園が1園もなかったのです。

というのも、1園を除いて推しカリキュラムがほぼ同じ、特徴的な取り組みが見当たらない。

「うちは英語、体操、音楽、(ICT)を外部講師入れてやってます!」

とほぼ全ての園が説明で推してくる。みなぎる流行りに乗ってます感。そこに園の理念はないんですか…!?!?(おっと誰か来たようだ)

 

まあ、そんなわけで自分の中で一周回って「幼稚園じゃなくてもいいんじゃない!?」とまで途中でなったんです。

ただ、我が家の近隣の保育園よりも広い園庭、プールがある、理念がなくても専門の先生に体操や英語を見てもらえる、、と考えるとやはり環境は幼稚園の方がいいか、と思い直し、最終的に減点法で生き残った1園に出願しようと思います。

そう、減点法にせざるを得んかったんですよ、、私だってほんとは加点法で決めたかった…!!でも、

・掃除が行き届いてないのか大きめの埃が結構な数、廊下に落ちてる

・このご時世、運動会で組体操やってる

・例のヤバい絵本が置いてる

・明らかに若い先生しかおらずみなさん目が死んでる(=たぶん、労働条件悪くて働き続ける人がいない)

など、チョットワタシココムリ…という園が多く、加点どころの騒ぎじゃなかった。

 

出願しようと思っている幼稚園は推しカリキュラムから理念は感じないものの(笑)、

・勤続年数が20年以上の先生から若手の先生まで様々な年代の先生がいらっしゃり、バランスが良さそう

・先生方の目が死んでない

・園庭がとにかく広い

・プールも大きい

・推しカリキュラム以外の通常の保育活動の中で園児たちが楽しそうに過ごしていた

など、ここに預けるなら安心だと思える園だったので、最終的に決めました。

 

皆様方にお伝えしたいこととしましては、

百聞は一見にしかず、必ず見学に行き、隅々まで見てきましょう

ということに尽きます。いや、見学せずに幼稚園決める人おらんやろうけど。

 

こんな偉そうに書いてて、出願して落ちたら笑ってください。

4月から幼稚園ライフ記事を書けますように。

 

追記:英語、体操…etcを園で取り組んでもらえること自体は共働きとしてはとてもありがたく、それ自体を否定する趣旨はありませんので、そこんとこよろしくです。